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どうなるのか、大河ドラマ『平清盛』 [■ テレビ番組・広告 Television,CM]


カクスコ(劇団、既に解散)や
朝ドラ『ちりとてちん』を担当された
藤本有紀さんの脚本ということで
非常に期待している『平清盛』ですが、
なんとなく、心配になる時があります。
話は進んできたものの、乗り切れないところがあるのです。
ブツ切れっぽいというか・・・

ここ!というところ、

 ・清盛と、平忠盛・母・弟との関係
 ・待賢門院璋子と白河院・鳥羽院・崇徳院の関係
 ・藤原摂関家
 ・待賢門院璋子の変化
 ・佐藤義清の出家
 ・妻の死
 ・弟の死

以上の見どころ、
最近なら、弟の供養の気持ちを含めて曼荼羅を描くところなんかは、
ぐっときただけに・・・うーん。



武士のなりをしていても、
内部政治の割合が高いだけに、
この時代を描くのは非常に難しいのでしょう。
あと、貴族と武士の世界が半々に描かれると、
どうしても薄くなってしまう気がします。
どちらも半端というか・・・
個々には濃いのですが、転換が微妙というか・・・
同じ舞台に立って、もっと融合・対立する
保元・平治の乱までは、
丁寧な地固め期間と言うことかもしれません。



ただ、贔屓目でも疑問に思うのは

 ・極楽とんぼ加藤さんがなぜ出ているのか?
  関西弁が全然ダメだし、いまいちよくわからない・・・
  見ていて辛くなる浮き感です。

 ・源義朝が薄っぺらい・・・
  玉木さん、苦手ではないのですが、
  あの独特な薄っぺらさは何なんですかね?

 ・平時子の深キョンも、なにか違うと思うことが多い。
  先妻との差別化の為かもしれませんが、うーん。

 ・源頼朝の岡田さんのナレーションが、
  思いのほか違和感が大きい・・・うーん。
  もっと適任がいるのでは?と思っています。



以下、妄想・妄言です。



藤本さんが『ちりとてちん』時のインタビューで
元々非常に落語が好きだと仰っていました。
それ故か、落語作品と、その週のエピソードの構造や演出をシンクロするという
ある程度落語を聞きなれて楽しめる人には
何重にも楽しめる作品に仕上がっていました。


それを思い出すにつけ、
いっそナレーションを入れないという形、
またはナレーション込みでも、
ストーリーテラーを佐藤義清=西行法師、
毎回、歌(『新古今和歌集』など)や平家物語などの 一首・一節を引用する
のだったら
どうなるのか?
清盛と西行は同じ年に生まれ、
西行のほうが長生きしているのです。


あれこれ想像してはうっとりしますが、
これはこれで文学研究者から
「解釈がおかしい!」って言われてしまうのでしょうか、ね。
ムズカシイなぁ・・・







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