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自由な空間にある、「両手のひらにのる」物語。〜『てのひら うさぎ』(『Pooka Vol.11 (2005)』に同梱)を観る。〜 [■ 書籍 Books]



■『てのひら うさぎ』(『Pooka Vol.11 (2005)』に同梱)を観る。

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Pooka Vol.11 (2005)—絵本工房 (11)

Pooka Vol.11 (2005)—絵本工房 (11)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: ムック

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【両手サイズの絵本。】

『カワイイもの好きな人々。(ただし、おじさんの部)』
(ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』内)というコンテンツがあります。
齢40を超えた山下哲さんが、
カワイイもの好き、且つ四捨五入で40歳以上の男性を
取材するというもの(2005年7月現在)で、
既に書籍化もされています。

このコンテンツがきっかけで、大ファンになってしまった私。
その様子はこちらにあるとおりです。
その後もコンテンツや書籍を拝見し、
やんわりとした熱が上がるのを感じつつ出かけた2005年5月7日のトークショー。
その中で予告されていた、
『てのひら うさぎ』についに出会えたのでした。


『てのひら うさぎ』とは、
文章を山下哲さんが、
絵をタミ・ヒロコさんが担当された絵本
です。
『Pooka Vol.11 (2005)』に綴じ込まれ、
単独で開けば、EP盤(7inchレコード)2枚くらい、
「両手のひらにのる大きさ」なのです。


会社員の「タムラさん」が帰宅途中に
長い耳が垂れた白い「うさぎ(ロップイヤー)」を拾うことから話は始まります。
「ペットは手のひらにのる大きさまで」という規則のあるアパートに住んでいるにもかかわらず、
「大家さん」に言い出せないまま
両手に乗る大きさのうさぎを自宅に連れ帰ってしまいます。
仲良しの隣人でタクシー運転手の「シマザワさん」にも発覚し、
結局、今ひとつ元気の無い「うさぎ」を、2人でこっそり養うことになります。


絵柄は、表情・質感が豊かに表れるようにデフォルメ・彩色され、
描かれている世界の音や手触りや匂いを感じさせるのが印象的です。
画面を見ていると、本当に生きて動いて、声を発している感じなのです。
目をつぶると、シーンが浮かび上がるくらいです。
特に「うさぎ」が素敵です!!!
つれて帰りたくもなります。

粗筋は、ここまでにします。
ぜひ本編をごらんください。




【原因のありか。】


『てのひら うさぎ』は最後まで読むと、微笑みつつ、涙がこぼれます。

いわゆる、哀しい話ではありません、
むしろ、素敵な楽しい話です。
絵柄の力もあり
微笑ましいところ、笑えるところも多々あって、面白い話なのです。
でも、涙が出ます。
その原因は何でしょうか。


私の立場・状況は「タムラさん」とほぼ同じです。
会社勤めをし、アパートに独り暮らしです。


まず、大家さんの作った規則「ペットは手のひらにのる大きさまで」が
できるまでの経緯を想像してしまいます。
私の住むアパートに同じ規則があるわけではなく、そもそもペット禁止です。
だからこそ、手のひらサイズのペットならいいですよって
住人のことを考えてくれる、
大家さんの”「規則」を超えた気持ち”に心打たれてしまいます。

そして、「タムラさん」他住人が
そういった「大家さん」の気持ちを察しているのでしょう、
規則を従順に守り、どのように暮らしているのかも想像できます。
お互いの気持ちを大切にし合って過ごしている
「タムラさん」など住人の生活態度に共感できるのです。
いい大家さんには、いい住人がつくのが現実が
理想的な形で展開されているのです。

素敵な係わり合いが出来上がっているにもかかわらず
それを壊しかねない状況になるのです。
しかも、規則を破らせるものは、いたいけな”うさぎ”です。
いまいち元気の無い迷い”うさぎ”です、助けたくもなります。
葛藤の上で、結果的に破ることになります。
穏やかに過ごしてきた分、とても緊張するのです。


そして、傍から見ている
「タムラさん」とほとんど同じ状況の生活をしている私は、
「タムラさん」の緊張をそのまんま負ってしまうのです。
規則を破ると言うよりも、大家さんの気持ちを裏切るかもしれないと
心が痛むのです。

それだけに、
最後、更に加わる”人の気持ちの動き”が事態を動かす時、
また我が身に向けられたように感じられ、
緊張から開放されて気が緩み、涙が出てしまうのでしょう。




【ボーダレスの本質。】



『てのひら うさぎ』を含め、掲載誌の『Pooka』には、
諸々読み手の指定がありません。
これはとても素敵なことです。
私は生活状況柄、
「タムラさん」や「大家さん」に思い入れが深くなっていましたが、
「シマザワさん」でも、「うさぎ」でも、「うさぎ」の子供たちでも、インコでも、
文を書かれた「山下哲」さんでも、
絵を描かれた「タミ・ヒロコ」さんでも、
関わるところなんでも、好きなところに感情移入が可能です。
心置きなく、楽しむことができるのです。


「大人も楽しめる」、「男の子(女の子)必見!」などと
年齢・性別や曖昧な社会的な立場を指定した冠がつけられる作品が多々あります。
でも、こういった表現、私はあまり好きではありません。
作者に的確に描かれた世界を、
読者がそれぞれの経験や思い・考えによって現実感覚を持って楽しむことは、
別に年齢や性別など関係が無いと思っています。
それぞれの立場や経験、感性に応じて
様々な感情移入の仕方があると思います。


「感情移入できる範囲が広い」、「色んな人が色々な感情移入できる」状態を、
わざわざ「大人も楽しめる」なんて言う必要は無いと思います。
男の子・女の子が見るべきものは、いちいち他人に言われなくても見ている気がします。
これらは、商売上のコピーとして必要なのかもしれません。
でも、そんな風に挑発的なコピーを付けなければならない作品って、
本当に「大人も楽しめる」「男の子(女の子)必見!」のでしょうか?
これらコピー、「楽しめなかったら大人じゃないかもね。」
「見なかったら、男の子(女の子)じゃないかもね。」なんて
軽く脅迫に聞こえてしまうのです。


どうせ指定するなら、
「対象年齢●歳の男子(女子)のみ」など、ピンポイントで書かれている方が
潔さがある分、素直に作品に対峙できて、
諸々自分の立場を忘れて楽しめるように思えます。


その点、先述のとおり、
『てのひら うさぎ』を含め、掲載誌の『Pooka』には、
諸々読み手の指定がありません。
ただ「絵本」があるのです。
表現する側も、読む側も、自由なのです。

自由な”空間”で、
『てのひら うさぎ』に出逢えて、幸せです。


【参考文献】*****************************

■Pooka Vol.11 (2005)—絵本工房 (11) Gakken Mook

Pooka Vol.11 (2005)—絵本工房 (11)

Pooka Vol.11 (2005)—絵本工房 (11)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: ムック


■『Pooka』 ウェブサイト
http://www.pooka.jp/

■『カワイイもの好きな人々。(ただし、おじさんの部)』
http://www.1101.com/kawaii/index.html

■『カワイイもの好きな人々。(ただし、おじさんの部)』書籍紹介記事。
http://blog.so-net.ne.jp/sound/2005-02-09/

●うさぎ(ロップイヤー)関連(『カワイイもの好きな人々。(ただし、おじさんの部)』内)●

オーダー絵はカワイイ。
山下さんが見つめてしまう絵に描かれているのが、ロップイヤー。
http://www.1101.com/kawaii/2004-11-03.html

トールペイントはカワイイ。
キャンバスに描かれたウサギさんが、ロップイヤー
http://www.1101.com/kawaii/2004-01-14.html

うさぎはカワイイ。
山下さんが飼っていらっしゃるうさぎが、ロップイヤー。
http://www.1101.com/kawaii/2004-06-09.html

●うさぎ(ロップイヤー)詳細●
犬図鑑 猫図鑑 ペット図鑑 - goo ペット
http://petpet.goo.ne.jp/goo/zukan2/shoudoubutu3.asp?group_id=3&kind_id=3

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計算式をつぶさに記していくように。〜橋本治さんの表現。〜 [■ 書籍 Books]



■橋本治さん著『勉強ができなくても恥ずかしくない』1〜3を読む。

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勉強ができなくても恥ずかしくない (1)

勉強ができなくても恥ずかしくない (1)

  • 作者: 橋本 治
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 新書


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【”出会える”書籍。】


大学生の頃から、橋本治さんの作品を読み始めた。
”外見的”な特徴としては、長めの文章が多い、
”内面的”な特徴としては、眼差しが優しい、
とりあえず、他人にはそう説明している。
当たり前だが、こんな言葉で片付くはずが無い。
読めばわかるんだけどなぁ、と思いつつ、
必要とする人が、必要とするときに出会えることを祈るだけ。
本ってそういうものだと思うんだ。
それに、橋本治さんはありとあらゆる種類の書籍を著しているので、
どこかで出会えるはずなんだな。

私は暫くの間、仕事用の実用書にばかり向かっていて、
それ以外の読書から離れていたのだが、
ひょんなことから、久しぶりに橋本治さんの作品を読むことになった。


ある時、実用書籍を探しに書店に入ったとき、
ふと目に止まった、和紙のような柄と柔らかな色合いのカバー。
見れば、「橋本治」と書かれている。
しかも、ちくまプリマー新書だった。
ちくま文庫はよく読んでいた、筑摩書房は、憧れの出版社だ。
私の好みに繋がってる、繋がってる!と、
独特なウキウキする気持ちに従い、購入してしまった。
何年経っても、出会うタイミングをくれるのが橋本治さんでもあるんだよね。



【「計算式」と言う表現。】

橋本治さんの著し方を見るたびに、”わかりやすい数学の授業”を思い出す。

私は数学は割と好きだったし、今でも好きな分野・話題だけれど、詳しくは無い。
中学生後半から高校生始めに一気に分からなくなったからだ。
なぜ分からないのかも、分からなかった。
挫折した理由を把握しないまま過ぎ去って、
文系の大学に進学して、ますます数学から離れてしまった。

そして、大学在学中に、中華民国(台湾省)に2ヶ月滞在した。
中国語専攻だったにもかかわらず、
やはり広い中華人民共和国・中華民国、
”なまり”に悩まされ、言葉が聞き取れず、伝わらず、焦っていた。

そんな時に行った蒋介石の記念館には、彼の学生時代の数学ノートが展示されていた。
そこには、「2つの図形が相似の関係であることの証明」が
数式で記されていた。
そこで初めて「数学の証明式と言うものは世界共通言語なんだ!」と気づかされ、
感動した。

更に、その数日後、テレビでは大学進学者向けに予備校の授業が放送されていた。
そこには私が躓いて保留になっていた「数列」の式が書かれていた。

日本同様、予備校の講師は、強く早い口調で授業を進める。
あまりの速さに聞き取れない中国語が耳を通り過ぎ、
画面のホワイトボードに目が釘付けになっていった。

早口の講師の手が黒いペンで次々と式を記していく。
私はそれをただ見つめていた。
そして、分かった。
保留になっていた数列の式が理解できたのだ。

同時に、なぜ私が数学を理解できなくなったのかも分かった。
計算式を飛ばされて、
それを埋め合わせる先生の説明を聞くことにこだわったから、分からなくなったのだ。
数学は、法則を導き出したり、証明しようとする人が記す計算式を
黙々と見つめていれば分かるのだ。
それが全て、ただそれだけが表現なのだ。


橋本治さんは、それを文学と言う分野で行っているんだ。


【”対話”を可能にする力。】

橋本治さんは、黙々と書く。
私が文字を拾い、頭で想像し、全身心で感じ、思い、考えて読む速度と、
橋本治さんが感じ、思い、考え、書く速度がほぼ同じではないだろうか。
これは”対話”に似ている気がする。

なぜそれが可能なんだろうかと思うと、
橋本治さんの表現にあるのだろう。

伝えたいことがあったとする。
それが、目に見えにくかったり、
既存の言葉では表現しきれないことだったり、
そもそも伝える相手に全くそういう概念が無かったとしたら、どう表現するだろうか?
お互いに分かるところを、少しでも多く見つけて、
それによって伝えたいことを構築していくだろう。
どんな計算式も飛ばすことなく、大きな法則を証明するようなものだ。


これが如何に労力がいるのことなのかは、
世の中に「法則」やら、「常識」やら、「正論」という言葉が
軽々しく発言されていることからもわかると思う。
「こんなこと、習ったはずだから、いちいち説明しなくてもわかるよね?(反語)」ってことだ。
みんな面倒なんだよ、計算式を書き残していくなんてこと。
でもね、発する側が面倒くさがって、結論だけ放り出して、それでなにが伝わるんだろうか?
結局、何も伝わらないんだ。
でもね、みんなそれで満足なんだよ、きっと。


ならば、なぜ、橋本治さんはそれを面倒だと思わないどころか、
普通に行いつづけていられるのか?


橋本治さんには、計算式を記しつづける労力なんて、頭に無いんじゃないだろうか。
人に何かを伝えるってのは、
他人に理解を要求すること、押し付けることじゃなくて、
理解を共有する事だって、
橋本治さんは痛いほど知っているんだと思う。
裏返せば、理解を共有できない哀しさや寂しさを知っていると言うことでもあると思うんだ。
それが橋本治さんにここまでの表現をさせ、
私や他の読者は、橋本さんと対話しつづける力になっているのだと、
『勉強ができなくても恥ずかしくない』(1)-(3)を読んで
痛切に感じたのだ。



【”ケンタくん”、ありがとう。】


『勉強ができなくても恥ずかしくない』(1)-(3)には
「ケンタくん」という男の子が出てくる。
彼が幼稚園に通う頃から、高校を卒業し、大人になるまで、
学校に通うことを、どんな風に感じ、思い、考えていたのか
つぶさに著されている。


それを読んでいくうちに胸が締め付けられていく。
伝えたくても、伝えられない、伝わらない、自分でもどうすることもできない。
幼い子供が力いっぱい感じ、思い、考えてもうまくいかない、
そんな誰でも持っているであろう切なさが、
自分の中に湧いてくるからだ。
そして、”ケンタくん”の姿は幼いけれど、
大人である私の中にも同じものはやっぱりあるのだと、
気づかされるからだ。
そして、これらは一過性ではなくて、
「伝えたい」という気持ちがある限り、「伝わらない」という状況も同時にあることを
当たり前に受け止められる勇気をもらえる。


そして、この物語は、最後の最後で、”けんたくん”の想いが
ささやかに、でも、物凄く大きく「伝わる」瞬間があるんだ。
このシーンは、ケンタくんへのご褒美であると同時に、
読んでいる人への、お礼であり、挨拶である気がする。

『勉強ができなくても恥ずかしくない』(1)-(3)は、
とても大きな世界の中で伝わるというステキなことが、
確実に存在することを証明する物語なんだ。


久々に橋本治さんの作品を読めて、良かった!


【参考文献】*****************************

勉強ができなくても恥ずかしくない (1)

勉強ができなくても恥ずかしくない (1)

  • 作者: 橋本 治
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 新書


勉強ができなくても恥ずかしくない (2)

勉強ができなくても恥ずかしくない (2)

  • 作者: 橋本 治
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 新書


勉強ができなくても恥ずかしくない (3)

勉強ができなくても恥ずかしくない (3)

  • 作者: 橋本 治
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 新書


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まなざしのままに。〜『Say Hello! あのこによろしく。』 (東京糸井重里事務所)〜 [■ 書籍 Books]


【ウェブから書籍へ。】

『Say Hello! あのこによろしく。』 (東京糸井重里事務所)は、
ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』の
コンテンツ『SAY HELLO! あのこによろしく。』の書籍版です。

ウェブ版・書籍版共に
ジャック・ラッセル・テリアの母と娘3匹の生活が
イワサキユキオさんの写真と短いコメントで構成されています
(ウェブ版は動画もあり)。

ウェブの本編は、更新ごとに必ず見ていましたし、
無性に見たくなって即アクセス!もあり、かなり親しんで来ました。
そして待望の書籍版、
テーマや素材は同じでも、ウェブと書籍では形態が異なるので、
どんな構成になるのだろうかと楽しみにしていましたら、
様々に予想を超えた作品になっていました。

私の場合ですが、撮影者の視点になってしまいます。
モニターを通して見たときもそのような感覚でしたが、
書籍の方がほんの少し増します。
自分の好みのテンポで見られるのです。
書籍という形はもちろん、特に嬉しいのがサイズです。
CDケースくらいの大きさ、厚みはその3枚分くらいです。
好きな場所や姿勢で見られるからか、心地よさが素敵です。

【”はまる”よりも、”はいる”。】

それにしても移入しやすい。
一枚一枚ゆったりとめくり、
一文字一文字、1コマ1コマじっくりと目を通したくなります。
眺めると言うより、自ら近寄っていくような感じです。

入れば入るほど、犬たちのいる空間の肌触りや、匂い、
犬たちの息遣いも感じられるようになります。
載っている写真はみんな、
犬たちの姿形だけではなく、動き回る様子、呼吸、生活空間まるごとが
当たり前に、そのままに写し取られ、差し出されているのです。
動画よりも臨場感に溢れているのは、
写している人の、犬たちへのまなざしそのままの
角度や距離、色、明るさが1コマに詰まった写真だからもしれません。
過去に犬を飼っていた経験を差し引いても、同じ感覚になると思います。
デジタルカメラが活かされていると思います。

【デジタルカメラ〜まなざしのままに。】

私もデジタルカメラを持っています。
初代を購入したのは1998年春。
スキャナと迷ってデジタルカメラにしました。

それ以降、写真を撮ることが多くなりました。
撮影すると言う表現に語弊を感じるほど、
「写真を撮る!」と言う意識は薄いといいますか、
「いい絵を獲るぞ!」という気負いがまるでありません。
ああ、いい風景だなぁと思って、
デジタルカメラを手にして、
液晶モニターを覗いて、
シャッターを押して、
液晶モニターに表示される撮影完了の絵柄を見て、
おしまい。
まるで、まばたきのようです。
少ない動きで概ね見えたままに撮れてしまうのです。
とはいえ、望遠機能も使用することもあるので、
単純に「見えたまま」と言い切るのは雑ですが、
色や明るさだけでなく、空気・空間も程よく漏らさず取り込めていると感じるのです。
自分や自分を取り巻く全てが写りこむ、
愛しい空気も、荒んだ心も、高揚した気分も、いじけた視点も出てしまう。
殆ど目そのもののデジタルカメラでの撮影は、
機械の責任に出来ないような気がします。

あまりに記憶した意識がない分、撮ったことすら忘れています。
そんな写真を発見したとき、
涙が出そうになることがあります。
気持ちが凹んだり、斜めになっているときに
すがすがしい心地や、好奇心に溢れたまっすぐな絵柄を見ると、
世界はこんな風にあって、自分はこんな風に感じていて、
それはとても嬉しかったんだろうなぁと、即座によみがえるからです。
自分の過去の目線がそのまま今の自分の感覚に乗り移ってくるからでしょう。
現在とはかけ離れている無邪気な自分がいた過去に哀しむのではありません。
現在の自分と地続きであると確かめられ、勇気づけられるのです。
素敵なまなざしを世界に向けられる自分でありたいと思うのです。

【そして、あいさつ。】

「犬たちと過ごした温かい心地の生活を惜しみなく与えてくれて、ありがとう。」
「みなさんの温かなまなざしに、ありがとう。」
これは、書籍作成に関わった方々に贈りたい気持ちです。

2005年1月14日著

■参考文献■

『ほぼ日刊イトイ新聞』
http://www.1101.com/

『Say Hello! あのこによろしく。』
http://www.1101.com/say_hello/


Say Hello! あのこによろしく。

Say Hello! あのこによろしく。

  • 作者: イワサキユキオ
  • 出版社/メーカー: 東京糸井重里事務所
  • 発売日: 2004/12/10
  • メディア: -



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