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そして、冒険は続く!その3~ 映画" Oppenheimer " から延びる道と、道ではない道~ [■ Oppenheimer (film)]



Christopher Nolan監督の映画" Oppenheimer "は、
2024年4月25日池袋グランドシネマサンシャインでのIMAX最終上映をもって、
私の劇場鑑賞も終了しました。



字幕を見ずに鑑賞するのが最終目標のひとつでしたが、
いざ実行してみると、まだまだ難しく、全く及ばず、反省しきりです。
Cillian Murphyの発音は物凄く聞き取りやすいのですが、
物理用語や各国から集まった物理学者の英語の癖などに引っかかるたびに
字幕を見てしまうのを繰り返してしまいました。
近くの席のお客さんが上映前に付箋がいくつも見えるScriptを読まれていて、
その時点で、私は所有しているだけだったので、
上映に合わせて確認するなんて、さすがNolan監督ファンだ!と
感動してしまいました。



UKで芝居を観たときに実感したのですが、
台詞だけが表現ではないし、
台詞にとらわれすぎて演技全体を観ないのはもったいないので、
英語がわからないことを気にしすぎるのは止めています。
鑑賞後に気になったシーンのScriptを確認するの繰り返し。
今回は少しだけScriptを踏まえて書いています。
加えて、一部Wikipediaを参考にしています
引用は斜体で表示)。


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字幕を見ずに鑑賞した時、最も色々と伝わってきた人物が、
David Krumholtz演じるIsidor Rabi(以下、Rabiさん)でした。
米国の物理学者でポーランド系ユダヤ人です。
核磁気共鳴の発見で1944年にノーベル物理学賞を受賞しています。
これはMRIに使われている技術の基になっています。
更に

マイクロ波レーダーや電子レンジで使われる
空洞マグネトロンの研究を行った最初のアメリカの科学者の1人

(Wikipedia「イジドール・イザーク・ラービ」より)

現代の生活に欠かせない発明の基になる研究をしていた人であると。
その原点には

ニールス・ボーアのもとで働くことを希望した。
ボーアは10月に戻った後、
ラービと仁科芳雄がハンブルク大学で
ウォルフガング・パウリと仕事を続けるよう手配した。

(Wikipedia「イジドール・イザーク・ラービ」より)

面倒見の良さで何度も名前が出るNiels Bohr先生!

こういった経験が基になったことも影響してか、
コロンビア大学の物理学科長になった期間に
優秀な物理学者を教授として招聘したり、
ブルックヘブン国立研究所(原子力の活用の基になる研究)を作ったり、
米国だけでなく欧州にも必要であると欧州原子核研究機構を作ったり、
物理学者が自由に研究ができて、
実用化に際して意見を言える場を積極的に作っていった人でもあります。





映画の中でのRabiさんは、
Cillian Murphy演じるJ. Robert Oppenheimer(今回は以下、Robert)
オランダの大学でのオランダ語での講義に感服するところから始まります。

Rabiさんは、スイスに向かう列車でRobertを尋ね、
お互いユダヤ人の物理学者として仲良くなります。

Robertは裕福な家庭育ちで、不自由なく研究をしていた人です。
一方で、Rabiさんは移民や労働者が多く住む地区の人で、
苦労をして学業を修めても、ユダヤ人であるがため、
相応の職を得るのが難しかった立場でもあったようです。

映画の中でも、列車内での会話で
講義用に短期間でオランダ語を習得したRobertに
Rabiさんが東欧ユダヤ系コミュニティが使うイディッシュ語を使うと、
Robertは、自分はそういう言語を使うところに住んでいなかったから
何を言ってるかわかんないなーと冗談?で返したり、
Rabiさんがユダヤ人の物理学者として就職が難しい悩みを吐露すると、
Robertも共感を示して親しくなり、
ドイツのWerner Heisenbergに会いに行こう!となるのが印象的でした。

その会話の最中にRabiさんがRobertに、
皮をむいた夏みかんみたいなもの( slice of orange )を分けます。
当初は欧州でも旅にミカンはつきものなのか?と
東海道新幹線ならびに在来線に馴染みのある私は
冷凍ミカンを想像してしまいましたが、
そんなわけはないだろうと調べてみると、

ユダヤ教では一部の品種の果実をエトログ(ヘブライ語: אֶתְרוֹג‎)と呼び、
「仮庵の祭り」で新年初めての降雨を祈願する儀式に用いる
四種の植物の1つとする。

(Wikipedia「シトロン」より)

この辺りが多様な柑橘を栽培する習慣の基になっているようで、
お供えにするような食べ物を分け合って食べること、
同じコミュニティに属することの象徴でもあるように感じました。



映画の中のRabiさんは、
常に科学者である矜持を大切にしていて、
先人たちから脈々と受け継ぎ続ける物理学の利用先が兵器であることへ
反発していました。
物理学者として尊敬しているRobertが、
学問や研究から離れていくのに複雑な思いで見守ったり、
科学者でい続けろと軌道修正をさせたり、
Robertから誘われたマンハッタン計画へもロスアラモスには居住せず、
コンサルタントとして要所で協力する形をとりました。


とはいえ、
トリニティ実験待機中のシーンで、
Rabiさんを含む物理学者たちは、
ポーカーで遊んだり、
慣例の爆破実験におけるTNT換算値の予測を賭けの対象にしたり、
その賭けを踏まえたジョークを飛ばしてリラックスし、
同席する陸軍の人たちの緊張感した様子が対照的に描かれていました。

この時点でRobertは物理学者のジョークが一瞬通じなくなっている、
陸軍の人たちと同じ心境になってしまっている描写があり、
Rabiさんの力が及ばないところまで・・・と消沈しました。

そのあとにMatt Damon演じる
マンハッタン計画責任者の陸軍将校Leslie Grovesに
物理学者ジョークの説明をするシーンが出てきて安心したのでした。



セキュリティ クリアランス聴聞会での
Robert側として証言するのを待つ間、
それなりの立場になったのがわかるような
ドビーストライプの上質な生地のスーツ姿のRabiさんが
Robertにオレンジ(A segment of orange)を差し出すところで、
あぁ、本当にこの人は変わらないんだなぁと。

Robertのどうしようもなく無神経なところを知りつつも、
ユダヤ人であることや科学者であるという立場から
Robertを支持し続けたRabiさん。
いつも首を少し傾けて、
ちょっと見上げるようにRobertを見ながら
考えながら話す様子は友達然としていて、
それを見るたびに健気さに目が潤むこともありました。



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もう一人、Robertを”支え続けた”
Emily Blunt演じる妻のKatherine Oppenheimer
(以下、Kittyさん)

こちらもいろいろと伝わってくる人物でした。



Robertとは3回目の結婚で、
いつも何かを求めたい熱い人でした。
生物学を修め、共産主義の実用としての考え方に興味を持ちつつ
原理主義や実用から離れた強すぎる思想としては冷めた見方をする、
理論的な考え方をする人のようにも描かれていました。

それゆえに、大学を出たのに主婦になっちゃったわーと嘆いたり、
Robertと結婚して慣れない土地でひとりで子育てをするストレスで
アルコールが手放せない生活をしていたり、
始終、不本意!が発せられている状態でした。
こどもと一緒にシーンでは、
常にこどもはギャン泣きしていて、
観ているだけでも状況の厳しさに同情してしまうほど。



色々と勘が鈍ってそうな感じなのに、
いざとなると圧倒的な”戦闘能力”を発揮するKittyさん。

Robertが何かを成し遂げるであろうと予言めいたことを言うKittyさん。

Florence Pugh演じる愛人のJean Tatlockの不審死に打ちのめされるRobertに、
自分が原因で起こった結果に同情なんて求めるな!と
胸ぐらを掴んでブチ切れるKittyさん。

トリニティ実験の成功を知り、
この先の覚悟をすべきことに思いを馳せてそうなKittyさん。

Robertにソ連のスパイ疑惑をかけた首謀者を
Robert Downey Jr.演じるLewis Straussと看破するKittyさん。
それに対するRobertのリアクションの鈍さに
苛立ってミニサイズの空の酒瓶を全力で投げつけるKittyさん。

聴聞会でもアルコール入りスキットルをバッグに忍ばせるくらい重症のKittyさん。

RobertとJean Tatlockの関係を公式に暴露されて打ちのめされても、
Robert側の証言者として出席するKittyさん。

「Robertはソ連のスパイである」という結論に
ミスリードを圧迫と共に誘う検察官に対し、
「そもそも質問の表現がおかしいのに答えられるわけないでしょう」と
嘘偽りなく、適度に皮肉を混ぜ込みながら理路整然と証言するKittyさん。

聴聞会でRobertに不利な証言をしたBenny Safdie演じるEdward Tellerと
握手をしたRobertに唾棄する勢いで怒るKittyさん。

聴聞会が予想通りの結果
(セキュリティ クリアランスの申請は拒否)になったRobertに
Did you think if you let them tar and feather you the world forgive you?
It won't.

と容赦なく伝えるKittyさん。(「タール羽の刑」を参照)

1963年のエンリコ・フェルミ賞をRobertが受賞した際、
1952年の聴聞会で不利な証言をしたくせに握手を求めてきたTellerに
最高の不機嫌顔で拒否するKittyさん。

・・・と振り幅がとても痛快でした。
ひとえに家庭を守るためでもあったのですが、
それ以上に、
社会に出たら大活躍できるポテンシャルの高い人だったのだろうと。



興味がわいて調べ始めたのですが・・・
夫が超有名人とはいえ、彼女自身はほぼ一般人にもかかわらず、
米国のWikipediaのページがありまして・・・
冒頭からインパクトのあることが書かれ
(必要な方便だったとは思う)・・・
読み進めるうちに、私は何を読まされているんだ???となり・・・
下世話なものを読んでいる私も悪趣味だな・・・と、
苦痛になって途中で切り上げました。

わかったことは、
お父様が銅の精製施設の設計技師で特許を持っていたため裕福で、
Kittyさんは伸び伸びと勉学に励める環境にあったことと、
好奇心旺盛でいろいろと興味のある分野の勉強をしたがり、
自分の知識を活かせることを考えたりしていた人だったということくらいです。



Norlan監督は最低限の事実のみのKittyさんに
フィクションとして主張を載せていったように見えます。
あくまで個人の、家庭人の主張として、
彼女に言わせた台詞や態度や行動ではありますが、
そこに留まらないなぁと私は思っています。
映画冒頭のプロメテウスの下りに
重なり、繋がっているように思えてしまうのです。








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