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" Oppenheimer "を観て、Christopher Nolan監督の凄さを改めて思い知る [■映画]



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2024年3月29日" Oppenheimer "が日本のIMAXシアターに上陸しました。
グランドシネマサンシャイン池袋の初回上映を観ることができました。



作品の最後、この物語の”ある主張”の描写が強烈に印象に残りました。
映画館を出て反芻するうちに、
この”主張”を組み込む作品の造りに気づき、
映画の冒頭から最後まで
”主張”を構成する印象的なシーンが次々と思い出され、
容赦のなさに震えました。



それぞれのシーンは物語のパーツのひとつとして、
絵面や場面としては一般的なものなのですが、
実は主人公の人生におけるエピソードのひとつではない、
その場限りの比喩ではない、
伏線とも違います。
外観からは見えない場所に突き通る、
”主張”に直結する一番強い骨のようなものの構成要素なのです。



実在する、史実や記録に基づきながら、
当時の国ごとの立ち位置で加害感情と被害感情が対立し、
その結果導き出された偏った主義主張など、
観る側に事実を扱うだけでは済まされない気持ちを起こさせる。
この題材を扱うことで想定されるリスクすら物語に含めて、
流行りの”配慮”という名ばかりの自己防衛や言い訳は皆無。
徹頭徹尾、Nolan監督が集めうる最高の技術の粋で
”主張”を最も効果的に表現する手段としての構造の構築していました。



私はNolan監督に対して「信用」はしていますが、
時として思考を放棄させる「信仰」しているわけではないので、
実際に観るまでは緊張していました。
観た後は構造と主張に気づくことができ、
何よりも先に「信用」していて良かったと、
日本人の観客の一人としても強く感じるものがあり、
感謝の気持ちも含め、涙してしまいました。
好きである理由を再認識しました。



2024 BAFTA Film Awardsの監督賞のスピーチを思い出し、
改めて重みを感じることになりました。



Nolan監督の映画作品という形のおかげで
1945年の当時、原爆を落とした側の地域に現在在住する多くの人が
この”主張”を含んだ作品を観たという事実も覚えていたいと思います。



Nolan監督作品は、2回目の鑑賞からが本番
見逃したこと、取りこぼしたことを自力で攫ってきます。
購入したパンフレットやScriptを観るのは、
もう少し先になりそうです。




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